「是より南木曽路」の石碑を通過すると木曽路が始まります。贄川宿は木曽十一宿の北の入り口に位置し中山道の交通の要衝として贄川関所が置かれ、旅籠や商業で発展していきました。昭和5年に発生した大火により当時の家並みは失われてしまいましたが深澤家(国重文)などが残り往時を偲ぶことができます。
昭和5年贄川宿の大火
昭和5年7月6日 贄川宿の大火により焼失61戸、損害約20万円と記録が残されています。
「是より南木曽路」の石碑を通過すると木曽路が始まります。贄川宿は木曽十一宿の北の入り口に位置し中山道の交通の要衝として贄川関所が置かれ、旅籠や商業で発展していきました。昭和5年に発生した大火により当時の家並みは失われてしまいましたが深澤家(国重文)などが残り往時を偲ぶことができます。
昭和5年贄川宿の大火
昭和5年7月6日 贄川宿の大火により焼失61戸、損害約20万円と記録が残されています。
この記事が気に入ったら
いいねしてね!