葬沢(ほうむりさわ)

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天正10(1582)年2月、織田・木曽連合軍と武田軍が鳥居峠で合戦し、武田軍が大
敗。鳥居峠の谷に武田方の戦死者およそ500体が葬られたことから、その地を葬り沢と
呼んでいます。武田勝頼は中山道を甲斐の国へと逃れる途中、平沢の諏訪神社を焼き払い
敗走したと伝えられています。

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