奈良井治部少輔義高とは(奈良井氏の生涯)
戦国時代に、福島(木曽)を根拠地とした木曾氏と洗馬を根拠地とした三村氏の間に立って両者の間で同盟を結び、自立した国人領主として奈良井を治めました。
天文18(1549)年に武田信玄が木曽に進軍すると、木曾義昌が武田氏に従うより前に義高は武田氏に従い、木曾氏が武田氏に降伏すると武田氏によって木曾氏の家臣につかされ、武田氏と木曾氏を主人として奈良井を治めました。天正元(1573)年の武田信玄死後も木曾氏に仕えましが、天正12(1584)年に木曾氏を裏切り小笠原貞慶に内通し、これにより木曽義昌に贄川で成敗されたとされています。
奈良井氏居館跡
奈良井宿を見下ろす高台(標高約970m)に、奈良井氏の居館跡があります。規模は東西35間(約63m)、南北52間(約94m)の広さがあります。居館跡の南側のカツ沢は谷が深く、南西には池ノ沢、鎮神社の北側には宮ノ沢が流れ、自
然の防御機能を活かし、木曾氏に対する防御を前提に作られたと考えられます。北東には空堀を作り、武田氏に対処しようとしたことが推察できます。居館跡は、中山道を眼下に押さえることができる場所です。奈良井宿を往来する旅人や物資などが奈良井氏にとって大きな財源となっていたことが推察できます。奈良井宿からは、下町から入る下町ルート。中町から入る中町ルートの二つがメインルートとなっており、地域の住民プロジェクトにより案内サインが設置されています。
サインに従って奈良井宿を見渡す高台(奈良井氏居館跡)へお越しいだき戦国時代の奈良井に思いを巡らせていただけたら幸いです。
※道中急な山道もございます。