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天正10(1582)年2月16日、織田・木曽連合軍(木曾義昌)が武田勝頼の二千余兵を追撃し大勝利を収めた鳥居峠の古戦場です。この時武田方の戦死者五百余名でこの谷が埋もれたといわれ、戦死者を葬った場として葬沢(ほうむりさわ)と言われています。武田勝頼は甲斐の国へと逃れる途中、平沢の諏訪神社を焼き払い敗走したと伝えられています。同年3月11日、天目山の戦いでは織田軍3,000人から4,000人に対して武田軍は僅かな手勢であったとされ、武田勝頼は甲斐の国田野で自害し武田家滅亡へとつながったと伝えられています。