「中山道」豆知識

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中山道は、慶長七年(1602)徳川家康によって定められた五街道の一つで、日本橋から草津宿で東海道に合流するまでをいい、この間に六十七の宿駅が定められました。途中木曽の山中という難所を通過しなければならなかったことから「木曽街道」とも呼ばれ、東海道と並び江戸と京都を結ぶ主要街道として、江戸時代を通じて重要な役割を果たしてきました。

木曽路は、桜沢から馬籠・落合間にある立場茶屋まで88キロメートル(22里)あります。この間に北から贄川・奈良井・藪原・宮ノ越・福島・上松・須原・野尻・三留野・妻籠・馬籠の十一の宿場があり、これを木曽十一宿と呼びます。

中山道は東海道と比べて道のりも長く、峠越えの難所も多かったのですが、川留めのような河川の氾濫も少なく予定通りの行程で通行できたと伝えられています。参勤交代の諸大名のほか、お茶壺道中、日光例幣使などの定期的な御用通行、諸商人、御嶽詣や伊勢詣、善行寺詣などの旅人に利用されました。文久元年(1861)には、将軍徳川家茂に降嫁する和宮の大行列もここ中山道を通り「姫街道」とも呼ばれました。随所に風光明媚な風景が展開する中山道は唱に・詩に・絵に描かれ数々の作品が世に送り出されてきました。

中山道の疑問?

中山道は67宿?69宿?

江戸側の板橋宿から数え、中山道終点の守山宿までの六十七宿が中山道の宿駅となります。これに東海道と重なる草津宿、大津宿を加えると六十九宿となります。

東海道は慶長6年(1601)、中山道は慶長7年(1602)に制定され、草津宿と大津宿は東海道の宿駅として数えられます。

・東海道53宿(126里)

・中山道67宿(139里)

起点(江戸日本橋)、終点(京都三条大橋)は同じですが、中山道は山坂や峠越えの難所も多く全長で東海道より13里長くなります。

(現在の距離にして50kmほど長い※1里は約3.9km)

中山道?中仙道?(やま?せん?)

中山道は古くは東山道(とうざんどう)とも称されました。慶長7年(1602)に中山道が制定され江戸時代には中山道や中仙道とも表記されましたが、享保元年(1716)に五街道御宿取扱秘書(幕府の通達)により”中山道”に統一されました。一方で庶民には木曽路の山中(難所)を通過することから木曽街道や木曽路とも呼ばれていました。

中山道北木曽路マップ

 

日本遺産(Japan Heritage)とは

我が国の文化財や伝統文化を通じた地域の活性化を図るためには、その歴史的経緯や、地域の風土に根ざした世代を超えて受け継がれている伝承、風習などを踏まえたストーリーの下に有形・無形の文化財をパッケージ化し、これらの活用を図る中で、情報発信や人材育成・伝承、環境整備などの取組を効果的に進めていくことが必要と考えられています。文化庁では、地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産(Japan Heritage)」として認定し、ストーリーを語る上で不可欠な魅力ある有形・無形の様々な文化財群を総合的に活用する取組を支援しています。

「日本遺産(JapanHeritage)」の認定について

平成28年4月25日、木曽地域(南木曽町・大桑村・上松町・木曽町・木祖村・王滝村・塩尻市)の文化遺産を紹介するストーリー「木曽路はすべて山の中 ~山を守り 山に生きる~」が、文化庁から平成28年度の「日本遺産(JapanHeritage)」に認定されました。これは、長野県内は初めての認定です。

7月1日に岐阜県岐阜市で認定式が行われ、文部科学大臣から認定証が授与されました。

木曽地域文化遺産活性化協議会

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