1602年中山道が制定された当初は、下諏訪から伊那小野宿を通り、牛首峠を越えて桜沢に至る道筋(小野街道)が中山道(初期中山道)でありました。現在は廃村となっていますが、小野街道の途中には江戸時代には山中村と言われた桑崎集落がありました。桑崎神社や小学校校舎跡、石仏などがあり往時を偲ばせています。
初期中山道
中山道を定めるに当たって時の勘定奉公大久保長安は塩尻を通ることなく下諏訪から小野、牛首峠を経て桜沢へ出る道を開きました。木曽へ伊那の米を入れるかわりに、木曽の木材を直接江戸へ送ることに狙いがあったとされています。長安死後、数々の不正が明らかになり、中山道は塩尻峠を越える本来のルートに変更されました。初期中山道は、ルート変更後も伊那米の木曽への移入路として江戸時代大いに利用されることになります。中山道が制定された1602年から変更される1614年まで使われた牛首峠ルートを初期中山道と呼んでいます。