楢川地域の災害と歴史

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木曽平沢の竹祭り

木曽平沢の「竹祭り」は、火災鎮護のために文禄2年(1593)に火の神である「軻遇突(かぐつ)(ちの)命(かぐつちのみこと)(みこと)」を祀ったのが始まりですが、青竹を家ごとに飾るようになったのは、寛文5年(1666)の大火で57軒全ての家を焼失した際、住民が青竹を水に浸し、火を叩き消したことに由来し、この竹は「(ひ)(ぶせ)(いみ)竹(ひぶせのいみだけ)(だけ)」と呼ばれています。

奈良井宿にならぶ防火壁「(う)建(うだつ)(だつ)

(う)(だつ)」は、隣家との境に設けられる小さな防火壁や、屋根の両端に突き出して設けられる装飾的な袖壁です。作るのに多額の費用がかかる為、立派な「(う)(だつ)」は家の格式や財力を示すシンボルでもありました。

そこから、出世できずパッとしない、生活が向上しない、などの状況を表す「うだつがあがらない」という慣用句が生まれました。

そんな「(う)(だつ)」が奈良井宿の町に並んでいます。富の象徴というより、機能性重視で小ぶりですが、火災から地域を守ってきた防火壁が、町並みに歴史と文化を感じさせます。

奈良井・贄川の水場

宿場町であった贄川と奈良井にある水場は、火災の際にも利用されてきました。宿場町の風景に溶け込み風情が感じられますが、昔の人は火災の際、バケツリレーで必死に消火活動をしました。そんな昔からの暮らしの感じられる水場です。

楢川地域の自然災害略年表  (明治元年~平成元年まで)

(参考資料 「楢川村目で見る100年史」村制施行100周年記念誌)

明治17年8月  洪水で奈良井村12戸流失

明治22年7月  奈良井川洪水     

明治29年2月  贄川で火災62戸焼失  

     7月  奈良井川洪水    

     9月  平沢上町・中町で火災53戸焼失

明治36年2月  奈良井で火災11戸焼失

     8月  奈良井で火災16戸焼失

大正元年 8月  大暴風雨で贄川小学校小使室の屋根破壊 

大正7年 6月  贄川下町で火災31戸焼失・2戸半焼 贄川小学校罹災児童23名

大正8年 3月  贄川小学校学林付近で山火事

大正10年4月  暴風雨で体操場(地区不明)屋根破損

昭和5年 4月  樽沢・橋戸記念林で火災 

         樽沢は飛び火により 既植地5半歩・未植地8町歩焼失  

         橋戸記念林は汽車煤煙の発火で 既植地1町歩焼失

       贄川火災で61戸焼失 小学校罹災児童51名

昭和 7年7月  贄川洪水被害で桑崎地区が危険となる

昭和 9年9月  台風で贄川小学校全児童が避難

昭和13年6月  豪雨による河川氾濫で平沢橋戸橋の流失の危険で消防組警戒

昭和27年7月  豪雨による被害甚大

昭和32年6月  台風第5号で桜沢に被害

昭和33年7月  豪雨で役場前堤防決壊 平沢旭橋も半分流失

昭和40年    豪雨被害続出

昭和41年10月 平沢火災3戸焼失

昭和52年2月  贄川国有林の雪崩で1名死亡

昭和53年6月  集中豪雨で奈良井上町の土砂で列車不通

昭和56年7月  豪雨で桑崎橋が流失

大昔の大火

平 沢 文禄2年(1593年)の平沢火災が「竹祭り」の起源となった火災

     寛延2年(1749年)の平沢火災後、防火対策として街道から建物を3尺後退させる町割りが行われ、現在「アガモチ」と呼ばれている。

奈良井 天保8年(1837年)宿場町の大部分に被害 中村邸はこの大火直後に建てられた

贄 川 天明2年(1782年)江戸時代の大火で宿場内のほぼ全てが全焼

     嘉永4年(1851年)江戸時代の大火で宿場内のほぼ全てが全焼

7月1日より防災に関する短歌作品の募集を開始します

 

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この記事を書いた人

Profile:七音

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