伊那米を木曽へ運搬する場合、中山道ルートでは距離も長く、難所の鳥居峠もあり何かと不便でありました。神谷(現木曽町)の牛方古畑権兵衛が元禄のころ姥神と鍋掛の二つの峠を越え、木曽町宮ノ越から伊那市坂下までの9里6丁の道を開きました。元禄九年(1696)に開通し、その後伊那谷から米を木曽谷へ、木曽からは工芸品が伊那へ運ばれるようになり、その功績に因んで権兵衛街道と呼ばれるようになりました。
南アルプスの大パノラマ
信濃川水系と天竜川水系の分水嶺であるこの峠からの眺望は素晴らしく眼下に伊那谷を望み、南アルプスの大パノラマの絶景も楽しむことができます。
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伊那用水路水枡跡
権兵衛峠の頂上から右手に300メートルほどのところに伊那用水路の水枡や水路の跡が残っています。伊那の人々にとって用水の確保は大変なことであり、水不足を解消するため、明治8年に奈良井川上流からこの峠までを引水し、この水枡で水量を測り伊那へと水を送っていた歴史があります。